才能のはなし

中学三年生の夏休みも終わり、部活も引退、となる今日この頃、
自分が何が得意で何が弱いか、あるいは誰がどれくらいできて、自分はどれくらいの立ち位置か、ということがそろそろわかってくるのではないかと思います。

そしてそれらがわかってくるということは、自分にわずかな安心感や自信を与える一方で大きな不安や羨望を感じさせることでしょう。

「できない」それは「才能がないから」なのか

例えば、模擬試験の見直しをしていて、君たちはこう思うかもしれないー
「なんでそこまで難しくないこの問題が解けなかったのだろう」
「なぜあの人はあんなにできるんだろう」
そういう状況に陥った時、君はどう考えますか。
「この科目の才能が自分にはない」とか「あの人ができるのは才能があるからだ」とか、考えたことはありませんか?

ですが、ここではっきりと、お伝えします。

受検において「勉強が人よりできる」という才能は、存在しません。

ここで、受検において、と限定したのは、世界に目を向けた時「人と同じ努力で人の何倍もの功績を出せる」という天才の類の人が一定数いるからです。ただ、これは、例えばオリンピックで金メダルを獲るような、あるいはノーベル賞を獲れるようなレベルでの話であり、試験問題が解けるかどうか、よりもはるかに高い次元での話なので、やはり、私は、「勉強が人よりできる」という才能はない、と断言したいのです。

「できる」それは「努力した」から

では、どこで出来の差、得意不得意の差が生まれるのでしょうか。

それは、簡単に言えば、どれだけ努力してきたか、です。もう少し詳しくいうと、いかに多くのものを自分の力として吸収してきたか、です。
当たり前のことですが、「できる人」はそれだけ「やってきた人」(もしくは「やらされてきた人」)なのです。繰り返しますが、初めから「できる」人はいません。「できない人」は「逃げてきた人」「できないと思い込んでいる人」なのです。
得意な、あるいは得意だと思っている科目であれば、分かる、解けるというのが楽しくて、やろうと意識しなくてもやってしまうものです。
反対に、不得意な、あるいは不得意だと思っている科目は、分からない、解けない、面白くない、だから自然に逃げてしまうのです。

ただ長い時間机に向かっていれば賢くなれるというわけではありませんから、多少効率の良し悪しも影響するかもしれませんが、基本的には賢くなるには時間をかけて忍耐強く努力し続けるしかありません。入試は、この「忍耐強さ」を測っているくらいなのではとも考えられるほどです。(実際、高校入試を越えれば終わりということはなく、その後には多くの楽しみとともに、多くの試練、苦難も待ち受けています。)

真の「才能」があるとしたら

私は、ここで、才能のあるなしが影響すると考えています。
つまり「努力を忍耐強く続けられる」という才能です。
考えようによっては、どれだけ熱中できるか、とも解釈できますね。
朝から晩までただひたすら練習ばかりしていた少年がプロのスポーツ選手になった、みたいな話を聞いたことはありませんか?
それでいいんです。下手に効率を求めたり、知ったかぶったりして小綺麗に振る舞うより、自分に正直になり、自分の目標の達成のために必要な課題を本当に少しずつで良いからこなしていく、その「忍耐強さ」が君が将来どれだけ賢い人間になれるか、を決めていると思います。
賢くなるのに、人より短い道のりを探そうとしてはいけません。遠回りになるかもしれない、と思いつつも目の前の道を一歩ずつ進み続ける「忍耐強さ」。これが君の将来をより明るいものとすることでしょう。

リングアカデミー講師 三木 裕介